
富山県高岡市で1909年に創業されたシマタニ昇龍工房は、仏具であるおりんを制作しているメーカー。
四代目社長の島谷好徳さんは、100年を超えるおりんの制作で培った技術を活用し、自社ブランド「syouryu」を立ち上げた。
そしてそこには、深い葛藤を越え、芽生えた島谷さんの強い覚悟があった。
葛藤に真っ直ぐに向き合う
島谷さんは、代々続くシマタニ昇龍工房の長男として生まれた。
「小さい頃から、親戚や祖父母から『あなたが継ぐんだ』と言われて育ちました。だけど、全く継ぎたいと思えなかったんですよね」
その理由は、とてもシンプルで真っ直ぐなものだった。
「嫌々やっても、うまくいかないのは自分でも分かってました。また、長男だから継ぐということであれば、島谷家に長男として生まれれば、”自分”じゃなくてもよいじゃないかと思ったんです。だから若い時は、自分がこの世に生まれてきた意味をずっと考えてましたね」
高校卒業後は、家業を継ぐことを避けるように地元を離れ、東京の大学へ進学した。
「本当に自分がやりたいと思えるまで、実家には戻りたくなかったんです。だから、大学卒業後は、しばらく料理人として働いてました」
しかし、転機が訪れる。
「仕事終わりに仲間と飲んで帰っていたある朝、ゴミ拾いをしていたおばさんと話したことがありました。その時、なぜか自分のことや家業の話をしたんですよね。そしたら『仏さまの道具を作る家に生まれたこと自体が、素晴らしいことですね』と言われました。それが当たり前の環境で育ってきたので、そんな風に自分や家業を捉えたことはなかったんですよね」
この出来事がきっかけとなり、島谷さんは両親に頭を下げて実家に戻り、家業を継ぐことになった。
自分がやるべきことを見出す
長く、そして深い葛藤の期間を経て、シマタニ昇龍工房へ入社した島谷さん。
「当時、仏具のおりんを作ることができる会社は、自社も含めて日本に7社だけになってました。日本の仏教文化を支えてきた技術であり、自分の代で会社を潰してはダメだと思ったんです」
島谷さん自身が、自らやり遂げたいと思うことを見出したのだと感じた。
「入社してからは、朝早くから夜遅くまで、とにかく仕事をしてました。結果的に、良い音が出るおりんが作れるようになるまで12年かかりましたね」

長い年月をかけて継承されるシマタニ昇龍工房の技術は、一度失ってしまうと、簡単には取り戻せない技術なのだ。
「弊社は、とにかく音の質にこだわっています。100点に近い音が出せない時は、例えおりんが出来上がっていても、もう一度始めから作り直しますね」
徹底して”音”という品質にこだわっているのは、なぜなのか。
「お客さまからの信用を大切にしてます。たった一回でも、シマタニ昇龍工房の品質を下回るものを出すと、それだけで信用がなくなると思うんです。だから、品質を担保するために下仕事から丁寧にやることを心がけてます」
しかし時代の流れには逆らえず、事業が厳しくなった2013年、その状況を打破すべく「syouryu」のすすがみは、開発された。
手仕事が生み出す美しさと温かさ
「syouryu」のすずがみは、錫を手仕事で叩いて作ったお皿である。
「金属を叩いて強くする鍛金という技術で作っています。同じ力で叩かないと厚さが変わってしまったりするので難しいんです」
すずがみには、実際に叩いた後の模様が、縦横に綺麗に並んでいて、その柄模様が見た目の美しさを引き立てている。工房に伺った際、実際に叩かせてもらったのだが、素人がやっても、全然うまくできなかった。洗練された職人による手仕事の凄さを感じた。
「家庭の中にあるお皿って、機械で作られた工業製品が多いと思うんですよね。その中に、手仕事のお皿があれば、そこから温もりが伝わり、日々の暮らしがより豊かなものになるんじゃないかなと」
こうしたこだわりと技術を詰め込んで作られた「syouryu」のすずがみなのだ。
シマタニ昇龍工房・島谷さんのモノづくりの根底には、自分が生まれた意味に向き合った葛藤と、文化を支えてきた技術を残し続けるという島谷さんの覚悟がある。