
栃木県益子市で1990年に創業された「わかさま陶芸」は、益子焼の窯元だ。
創業者である若林健吾さんは、常に向上し続けていくことを大切にモノづくりに向き合い続けている。
進みたい道を迷いなく進む
若林さんは高校まで地元の長野県で過ごし、卒業後は東京の大学に進学した。
「元々、美術部に入っていたこともあり、芸術の領域には興味がありました。だから、大学を一年休学して、石川県にある九谷焼の学校に通ったんです」
この経験が若林さんの人生の大きな転機となる。
「卒業が近づくと就職活動をして企業から内定を貰いました。だけど、サラリーマンとして働いている自分の姿がイメージできなかったんです。だから陶芸の道に進むことにしました」

そして若林さんは、この時すでに独立して自分の窯元を持つことを決めていた。
「独立することを考えると益子焼が良いと思い、陶芸の道に進んでいた大学の先輩に益子焼の窯元を紹介してもらいました。そこで二年間修行し独立しました」
当時、独立することに対して迷いはなかったという。
「まだ、ろくろも下手だったし、お客様への販路もなかったんですけど、何とかなると思いました」
この意思決定にも若林さんらしさが詰まっている。

挑戦を続けることで状況を変える
「根拠のない自信がありました。どうなるか分からない中でも、自分がアクションをしていくことで、目の前の状況を変えることが出来ると考えていたんです」
そんな若林さんだが、独立してしばらくは一人の作家としてオブジェを作っていた。
「自分の作品が日本陶芸展で入賞した時は嬉しかったですね。ただ、自分が作家的な思考回路ではないことに気づきました。作家活動だけに全ての時間を使っている他の人たちには勝てないなとも感じたんです」
しかしこのまま終わるのは嫌だと思い、32歳の時にオブジェ作りを辞めて器作りにシフトした。
「常に向上し続けていたいという欲求は強いと思います。挑戦し続けている自分の姿が好きなんですよね」

そうした挑戦を積み重ね続けてきた結果、今では40人前後の社員を抱える大きな窯元へと成長したのだ。
お客様を観てモノを作り続ける
若林さん/わかさま陶芸がモノづくりをする上で、こだわっていることは何か。
「お客様と直接会う機会を作り、お客様が何を選んだのかをよく観るようにしてます。お客様の反応をを見ながら、新作を出してたり、既存商品のマイナーチェンジを常に繰り返してます」

バブル崩壊後、多くの窯元が業績不振に苦しんでいた時、わかさま陶芸は自社ECの整備や展示会へ出店するなど、いち早く直販の体制を整えていた。
それが今、お客様との接点を生み出すことへと繋がっている。
「日本人にとって使いやすい器の大きさがある。シンプルだけど使いやすい器にこだわってます。お客様に飽きられることなく、食器棚の前面に置いてもらえる器を作り続けたいですね」
どれだけ会社の規模が大きくなっても、決して現状に満足することのない若林さん。
そんな若林さん/わかさま陶芸が作る益子焼の器は、前に進み続けるための元気や勇気を与えてくれるだろう。